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LEVIʼS® VINTAGE CLOTHING X
CENTRAL STATION DESIGN
限定コレクション
スペシャル・インタビュー集

Central Station Design (セントラル・ステーション・デザイン)は、マット・キャロルとパット・ キャロル兄弟と、カレン・ジャクソンの3人によって作られたマンチェスターに拠点をおくデザイン会社です。 マンチェスターの1980年代の音楽シーンにおいて大きな影響を与えた彼らは、たくさんのレコードジャケットやポスターなどのアートワークを手掛けました。
特に、Happy Mondaysのアートワークは、最もアイコニックであると同時に、象徴的なものでもありました。今回、Levi’s® Vintage Clothingでは、Central Stationによる、Happy Mondaysのオリジナルの5つのアルバム・ジャケットをモチーフにした限定商品を発売します。
Levi’s® Vintage Clothingのヘッドデザイナーであるポール・オニールがCentral Station Designのマット&パット・キャロル兄弟と対談。Factory Recordの第2次ブームのアートワークのほとんどすべてを生み出したマンチェスターの伝説的なデザインスタジオであるCentral Station Designの様々な裏話を聞きました。

ポール・オニール × マット&パット・キャロル兄弟
  • Intreview 1お二人がアートやデザインに対して興味を持つようになったきっかけは何ですか?

    パット・キャロル:

    ひとつには、両親の育て方に関係があると思います。 意図的にそうしたのか、そうせざるをえなかったからなのかはわかりませんが、母と父は私たちのやりたいことをやらせてくれたんです。制約や制限をつけるようなことはありませんでした。9人兄弟だったので、家の中はしっちゃかめっちゃかでした。サッカーをしたり、キッチンで20羽のフィンチを飼っていたので、その世話をしたりするのも好きでしたが、絵を描くのも好きでした。絵を描いているときは一人になれるし、雑音をシャットアウトすることもできました。宗教的な影響の強い家庭だったので、インパクトのある、重い画像がありました。 あるとき、美術の教師が両親を呼び出して、「あの子はアートスクールに入れるべきです」と勧めたのです。それで、サルフォード大学でアートとデザインの勉強をすることになりました。卒業するとすぐにロンドンのスタジオで働き始めました。レコードジャケットや、バービカンのプロジェクトのためのデザインの仕事をしました。

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    マット・キャロル:

    私たちの家庭は特に芸術的な環境だったわけではありませんね。ラウリー(ローレンス・スティーブン・ラウリー) の奇妙な版画が壁にかかっていたくらいです。実際、それはピール公園を描いた作品で、この後ろの壁にまだかかっています。あるとき、パットが腕を骨折して、ギプスを外すために病院に行った時のことをはっきりと覚えています。病院からの帰り道、父はラウリーの作品を見せようと私たちをサルフォード美術館に連れて行ってくれました。そこで、私は強い印象を受けたのです。兄のピートはたくさんのレコードをコレクションしていました。文字通り何千枚ものレコードを持っていて、それを入れた深さ90cmくらいの箱が部屋の壁をすべて埋め尽くすほどでした。私はよくそのレコードを引っ張り出してはジャケットを眺めていました。兄の友人たちが遊びに来た翌日には、彼らが前の晩に聴いたレコードが箱の前のほうに出されていたものです。家の中にいながらにしてギャラリーでアート鑑賞を楽しんでいたようなものですね。

  • Intreview 2皆さん三人(共同創業者のカレン・ジャクソンを含む)が一緒に作品をつくるようになったきっかけは?そして、「Central Station Design」という名前はどこから来ているのですか?

    パット:

    私たちは三人とも1980年代初頭にロンドンで働いていました。でも、週末にはマンチェスターに戻って、The Haçiendaに通っていたんです。そのうち、みんなマンチェスターに戻ってきました。それで、カレンが「つまらない仕事を探すくらいなら、自分たちでスタジオをつくらない?」と提案したんです。それで、そういうことになったというわけです。それからすぐに、ニコラス・ハイトナーと組んでロイヤル・エクスチェンジ・シアターのクリエイティブディレクションを担当することになりました。

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    マット:

    子供の頃、私たちはよくデイヴィッド・ボウイやTレックスといったポップスターをモデルにした漫画や絵を描いていました。一緒に仕事をすることに なるとは考えてもいませんでした。普通の子供と同じように、ただ絵を描いていただけなんです。一時期、ロンドンで働いていましたが、マンチェスターに戻ってきてからは失業手当を受けていました。それから、自分たちでスタジオを立ち上げる ことにして、Central Stationを設立したのです。私たちは、Free Trade Hallでバンドのコンサートをよく見ていました。14歳ぐらいの頃にラモーンズのライブを見たのを覚えています。 横にチケット売り場があって、そこからは古くてさびれた鉄道の駅が見えました。 何年も後になってから、それがCentral Stationの建物だったことを知りました。それで、自分たちのスタジオにその名前を付けることにしたのです。

    パット:

    みんなその建物が好きだったので、名前だけでも復活させたいと思ったんです。 ビクトリア朝暗い産業革命の時代に建てられた建物でした。その時代のエネルギーを活かして、光を灯し、マンチェスターをモノクロームから鮮やかなフルカラーに変えたいと思ったのです。面白いことに、1990年にここでハッピー・マンデーズが2回の公演を行い、どちらも満員の観客で埋まりました。そのコンサートの後、建物は改修されて、G-Mexという名称に変わったのです。

  • Intreview 3Factory Recordとの仕事のきっかけは? Happy Mondaysのショーン・ライダーとポール・ライダーは従兄弟だったので、彼らのほうからアートワークの仕事を持ちかけてきたのですか?

    パット:

    正直なところ、どういう話し合いをしたのかはよく覚えていないのです。 何か話し合ったというわけではなくて、必然の成り行きだったように思います。 彼らは私たちの仕事を気に入ってくれていました。彼らのリハーサルも見に行きましたし、初期の公演からすべて見ています。家族ぐるみの付き合いでしたが、バンドのメンバー全員と友達で、同じような生活を送っていました。

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    それで、マンデーズがFactory Recordsと契約したとき、そのサウンドをビジュアルで表現するのに私たち以上の適任者はいないだろう、ということになったのです。 Palatine RoadのFactory Recordsのオフィスで『Delightful』のためのアートワークを提出した瞬間こそが、私たちにとっては間違いなく大きな転換点になりましたね。

  • Intreview 4お二人がFactory Recordsと仕事をするようになった頃には、すでにピーター・サヴィルなどによってデザインの方向性が確立されていましたね。それに合わせなければ、というようなことは考えましたか?

    マット:

    Factory Recordsは私たちの⻘春の一部でした。ジョイ・ディビジョンや ニュー・オーダーなどに夢中だったのです。レコードジャケットも、何もかもが完璧でした。Factory Recordsの初期のデザインをリスペクトしていましたがそれをなぞるようなことはしたくなかった。私たちには私たちの哲学がありましたから。

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  • Intreview 5『Delightful』のジャケットはFactory Recordsのレコードの中でも私の一番のお気に入りです。ポジティブなメッセージで、新しい一日がスタートするような印象を受けました。このシンプルさを実現するには勇気が必要だったのではないかと思います。このデザインはどのように思いついたのですか?Factory Recordsの人々の最初の反応はどうでしたか?

    パット:

    ありがとう。『This Feeling』や『Oasis』、『Delightful』といった曲のアートワークは、Orange Sunshineの路線まではいかないものの、自然の中で何かが目に留まってふと足を止めて、急にそれまで感じていたストレスが吹っ飛んで広い視野で物事を捉えられるような瞬間を抽出しようとしています。ピュアなグラフィックでそれを表現しようとしたんです。シンプルさにはパワーがあります。鳥はピリオドのようなものです。Factoryはこんなデザインは全く予想していなかったと思います。

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    マット:

    『Delightful』はお気に入りのひとつです。シンプルなグリーンの丘、2羽の鳥、そして⻘い空。あのレコードジャケットはまさにピュアなパンクロックで、 1980年半ば頃に主流だったデザインに「くそくらえ」と大声で宣言するようなものでした。反逆精神にあふれていて、変化の時代を象徴していました。地平線に飛び立つ新しい時代の鳥のようなものです。ピュアで、フレッシュで、新しいデザインでした。

  • Intreview 6『Freaky Dancin』のレコードジャケットのクリーチャーも好きです。 これについて説明してもらえますか?この発想はどこから来たのですか?

    マット:

    これは当時の他のデザインとは全く違っていました。『Freaky Dancin』は バンドのイメージそのものであり、私たちのライフスタイルの象徴でもありました。 カラーはその当時の時代の雰囲気を反映しています。ほとんど抽象的な世界です。 全く新しい感情が湧き上がってきていたんです。自分たちがやっていることは正し いんだ、という妙な自信がありました。その当時、ほんの一握りの人々だけがこの 感覚を共有していました。

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    パット:

    『Delightful』を発展させて、拡大したのがこのデザインでした。ひどいトリップの最中に『Delightful』のジャケットを見ているような感じですね。風景は歪んで、色彩はどぎつく強調されて、そこには苦痛にのたうつクリーチャーがいる。 LVCのジャケットのためのアレンジやアニメーションを新たに制作するときには、 クリーチャーの元のイラストに立ち返りました。

  • Intreview 7『Squirrel and G-Man Twenty Four Hour Party People Plastic Face Carnt Smile (White Out)』の初回プレス分のジャケットは、バンド名とアルバムタイトルがプラスチックのスリップケースに印刷されていて、紙のレコードジャケットにはテーブルセッティングの写真だけが印刷されていましたね。このジャケットは、このコレクションのTシャツのデザインにも強い影響を与えているんです。このアイデアがどこから来たのか、このジャケットの制作の舞台裏などについて話を聞かせてください。

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    パット:

    私にとって、『Squirrel』を取り巻くヴァイブはベズの家で行ったセッションから感じたものでした。5日間一睡もしない日が続いたあとで、誰かがやってきて、こう言ったんです。「ひどいもんだな、24時間ずっとパーティーの連中だ、プラスチックの顔では笑うこともできない」とね。
    私たちは、耽溺、理想、人工的な夢を象徴するイメージに抽象的な不確実性を重ね合わせたいと思いました。タイポグラフィーには、くだらないものはいつでも捨て去ることができると認めること、見慣れた物のなかに見慣れないものを見出すこと、そういう思想を象徴させています。外側のスリーブに文字をプリントするアイデアは、分離されたような感覚を表現するために生まれました。自分自身の経験を外から眺めているような感覚になることが時々ありますが、あれです。トニー・ウィルソンの「カトリックの教会でワインをカビだらけの陶器の器に注いだりするかい?そんなことはないと思う」と言葉が好きなんです。Factoryにはアートやデザインに対する大きなリスペクトがあって、細部にもこだわりを持っていました。プラスチックの外スリーブみたいなアイデアにもコストをかけることにためらいはありませんでした。

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    マット:

    『Squirrel』のジャケットのアイデアについては、私の記憶はパットとはちょっと違います。私が覚えているのは、クリスマスイブの夜のことです。The Haçiendaで大騒ぎをしたあと、エクルズのベズのフラットでのパーティーをしたんです。翌日のクリスマスディナーは自宅でとったのですが、もちろん全く違った雰囲気でした。パーティーの料理というアイデアはここから来たんです。最初は、すべてのイメージを見せないようにしよう、落書きがされたバスや電車の窓越しに見るみたいな感じに、すべてがはっきりとは見えづらいようなデザインにしよう、と思いました。それで太字のかっちりとしたフォントで画像を隠すことにしたんです。全体としては、昼と夜の夢のスナップ写真のようなイメージを表現しています。プラスチックのスリーブは、切り離されたような印象を与えます。教会のステンドグラスの窓みたいな感覚です。

  • Intreview 8『Bummed』の頃には、デザインのディレクションはもっとリラックスして、絵画やコラージュなどを使った自由でカラフルなものになっているように思います。『Delightful』や『Freaky Dancin』のジャケットのようなピュアなグラフィックから変化していったのには何か理由がありますか?

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    パット:

    完璧な光を求めて南仏で5年間過ごしたわけではないのですが、私たちはいつも絵具での実験は積み重ねていました。私たちと同じようにショーンもカトリックの家庭で育ったので、そのことをいつも掘り下げていて、歌詞にもその題材に触れていました。そこで、ショーンを幻覚的な宗教的アイコンみたいなものに仕立て上げることで、カトリック的な思考をひっくり返して、視覚的言語に翻訳しようとしたのです。このアルバムは混乱していて、奇妙で、それでいて直接的で大胆なものでした。ジャケットの作品も、それと同じように直感的で、本能的なものでした。イメージの一部を切り取ることで、窮屈で、強烈で、曖昧な画面になりました。アルバムタイトルとバンド名をエンボスで空打ちすることで、さらにその感覚が強くなりました。

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    マット:

    私たちはマンチェスター市立美術館での展覧会のために「Hello Playmates」というタイトルの絵画作品のシリーズに取り組んでいました。『Bummed』は、それと同じ時期に制作したので、同じスタイルと技法を使っています。子供の頃、家のすぐそばにレーバー・クラブがありました。夜、フェイスペイントをして、シャンパンピンクのウィグをつけて、派手なアイメイクをして着飾った人たちがそこに出かけていくのをよく見ていました。その光景は、いっぱいの色にあふれていました。こういう無意識のイメージが、発想の源になりました。バンドのライフスタイルとか、染み付いたものを伝えたかったのです。私たちはいつも実験的なことを試みていました。自分たちにとって新しい世界を発見するためのピュアな自由を満喫していたのです。どんなことでも可能に思えましたし、アートはスピーディーに、自由にあふれ出てきました。魔法のような時間でしたね。

  • Intreview 9『Bummed』の内側のジャケットについてはどうですか?これはどこから着想したのですか?

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    パット:

    この頃には私とカレンはファローフィールドの古い大きな一軒家のロフトのフラットに引っ越していました。やがてマットやショーン、ベズもみんな引っ越してきて、家すべてを占拠するようなかたちになったんです。マンチェスターにおけるシュールレアリストやダダイストの溜まり場みたいな場所になりましたね。ケンとモーリーンという名前の高齢のナチュラリストのカップルがやっているお店があって、私たちは彼らのところによく飲みに行っていました。彼らのお店に出かけていって、一杯注文する。彼らは裸で座って『Coronation Street』を見ていました。この二人が70年代にお互いを撮影した奇妙なポラロイド写真が山のようにありました。とても奇妙でしたね。色彩の質がまるで『Performance』という映画のスチル写真のような感じだったのです。この映画は『Bummed』のレコーディングの時に繰り返しずっと流していた作品でした。それで、モーリーンの写真を2枚選んで、内側のジャケットに使うことにしたのです。最初のアイデアでは、ケンを裏面に使おうと思っていたのですが、ケンは満足できる写真を期限までに選べなかったのです。

  • Intreview 10ジャケットに使う作品の選定プロセスは?バンドも作品選びに参加したのですか?Factoryのスタッフは?

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    マット:

    私たちはいつでも完全な自由を与えられていました。彼らのほうから何かを提案してくることは一度もありませんでした。多くのジャケットがフィーリングで生み出されました。私たちは子供の頃から一緒でした。私とショーンは、その頃持っていた2弦ギターで一緒に変な音を出して遊んだりしていました。ショーンのおばあさんの家で初期のデモテープを一緒に録音したりもしました。私たちは家族同然で、文字通りいつも一緒に過ごしていました。だから、私たちがやっていることを見せると、彼らもすぐにその意味が理解できたのです。

  • Intreview 11Factory Recordsのためにつくったジャケットのなかで一番のお気に入りはどれですか?

    パット:

    私は『Bummed』のジャケットですね。このアルバムのアートワークでは、バックカバーの抽象画も気に入っています。

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    マット:

    さっきは『Delightful』が好きだと言いましたが、すべてのジャケットが気に入っていますし、すべてに魂が詰まっています。すべてに命があって、感情があって、何か意味があって、そしてハートから生み出されたものなのです。

  • Intreview 12Levi’s®について、若い頃の思い出は何かありますか?1980年代のマンチェスターではLevi’s®というブランドはどんな位置づけだったのでしょうか?

    マット:

    子供の頃、Levi’s®はとても大きな存在でしたね。70年代のオレンジタブとか、ジップアップのパーカーとか。その後は、1989年にマンデーズと一緒にアメリカに行ったときのことを覚えていますね。とてもハードな、シュリンクトゥフィットの501®ジーンズを買いました。ウエスト38インチのサイズのものを購入したのですが、今でもはいていますよ。当時の自分のウエストはたぶん32インチだったのですが、でも大きいサイズのものが欲しかったので38インチにしたんです。それをはいていると、友人が「おお、それどこで買ったの?」と聞いてきましたね。

    LEVIʼS® VINTAGE CLOTHING ロゴ

    パット:

    私はラモーンズの大ファンだったのですが、パンクの時代、505™のジーンズは私たちにとってアイコンでしたね。80年代を通じて、私たちはみんな絵具まみれの501®ジーンズをはいて歩き回っていたと思います。まさに「アートライフ」そのものです。今でも変わりませんね。肉体労働のシフトをこなしたあとでも、同じ服のままで出かけられるというのが重要なんです。クラシックなヴィンテージのワークウェアは、多くがアメリカからの輸入品でしたが、いつでも私たちのお気に入りでしたね。その中でも特にLevi's®は素材の品質が良くて、時代を超越したオーガニックなアイテムで、一緒に生活し、使い続けるものという感じがありました。着続けて、古びていけばいくほど、いい感じになっていく。

  • Intreview 13お二人がLevi’s®のVintage Clothingのプロジェクトに参加しようと思ったのはなぜですか?

    マット:

    Levi’s®は常に私の人生の中にありました。Levi’s®は様々なことと結びついています。音楽、スタイル、兄のレコードコレクション、そして生まれ育った家。

    パット:

    Levi’s®はカルチャーと密接に関係しています。いつでもそこにあるのです。また、細部へのこだわりや、Levi’s® Vintage Clothingの他のプロジェクトを見ても、私たちのアートワークが、トニーやFactory Recordから受けたのと同じようなリスペクトを受けることができるだろうと感じました。

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