「変わっていくもの、
変わらないもの」をテーマに、
イラストレーター鈴木英人氏への
インタビュー

リーバイス®ジーンズを象徴する代表的なディテールのひとつ、レッドタブ。
これまで、スモールeとして長年慣れ親しまれてきたこのタブが、47年振りに再びビッグEとして生まれ変わる。
今回は、70年代よりイラストレーターとして活動し、山下達郎のジャケットアートワーク等で
現在も国内外から厚く支持され続ける、鈴木英人氏が登場。
photo: Yoshito Yanagida / text: Noriyuki Tooyama

-今回、リーバイス®ジーンズのアイコニックパーツのひとつであるレッドタブが、47年の時を経てスモールeからビッグEに変更されるということなのですが、47年前の1971年頃、英人さんはどんなことをしていましたか?

鈴木「23歳くらいだから、プロダクションに入って宣伝関係のグラフィックデザインの仕事をし始めた頃かな。もちろんその頃は漫画っぽいものやリアルなものとか、オーダーされたいろいろなものを描いていく作業だったんだけど、その当時はとにかく忙しくてね。しょっちゅう夜中に呼び出されたり、会社に泊まり込んだりしていましたね。それがなんだか嫌になっちゃって、だったらイラストレーターになって自分でやっていこうと思ったんです。」

-それまで絵に関する本格的な勉強はしてこられたのですか?

鈴木「いや、まったくしていなかったから、28、9歳の頃から世界中のありとあらゆる美術に関する本を読み漁って、当時まだ誰もやっていない描き方でやってやろうと思ったんです。僕の場合は「何が描きたいか?」というよりもまず、「どんな方法で描いたら成功するか?」っていうことを考えたんです。それで、マンガの技法でアメリカの風景を描くというスタイルに辿り着きました。しかも、あの頃のアメリカっていうのはみんなの憧れでしたからね。」

-リーバイス®の存在を知ったのはいつ頃ですか?

鈴木「ちょうど仕事を始めたのと同じ、24歳くらいの時ですね。ロサンゼルスへ遊びに行ったときに、カチカチに固くてドカンみたいに太い新品の501®を買って帰ったのを覚えています。その頃日本では確かアイビーファッションなんかが流行っていて、ジーンズはまだ珍しかったんじゃないかなぁ。個人的に、アイビーよりもアメリカのラフなスタイルのほうが好きだったんですよね。」

-英人さんの作品にはアメリカ、特に西海岸を思わせる風景が多いですが、どういった部分に魅力を感じますか?

鈴木「僕の作品の題材は西海岸と思われる方が多いですけど、実は東海岸の景色なんです。主に作品の題材になっているのはボストンやナンタケット、そのあたりですね。僕がアメリカの風景で特に好きなのは、アメリカのルーツであるニューイングランドなんです。東海岸は西海岸と比べて湿度が低くて乾燥しているから、空や海の色が鮮やかで、影に色があるというのがすごく綺麗なんですね。」

-リーバイス®は今回タブが変更されますが、根本的なデザインやパターン等はほぼ変わらず同じ商品を提供し続け、長年購入し続けてくださるお客様もいらっしゃいます。英人さんも50年近く作品を描き続けていますが、変わった事や変わらない事を教えてください。

鈴木「僕も絵を描き始めてからずいぶん経つし、「そろそろ変えてみれば?」とか言われることもありますが、基本的な技法はまったく変えていないです。時代によって状況は変わっていくし、そういったシチュエーションには合わせなければならない。でも、僕の場合は「おまかせ」というオーダーがほとんどです。特に(山下)達郎さんのジャケットなんて、ずっとやらせてもらっているけど、注文も文句も言われたことないですよ。リーバイス®もそうですが、やはりオリジナリティをずっと守り続けているという部分はすごく魅力的ですよね。基本的なことだけど、時代によって右往左往しないものに本来の価値があると、僕は思っています。」

作品がその時代を象徴するアイコンとなりながらも、世相や流行にまったく左右されずに自らが生み出したオリジナルをキープし続ける。
今回のインタビューでは、その柔らかい物腰とは裏腹に、イラストレーター/アーティストである鈴木英人氏の強い意志が感じられた。
そしてそのスタンスはリーバイス®が長年守り、育み続けるというスタイルと共鳴している。

鈴木英人 | Eizin Suzuki

Profile:1948年生まれ。’70年代初期より広告デザインを手がけ、デザイナー、アートディレクターを経て、1980年にイラストレーターとしてデビュー。山下達郎のレコードジャケットや雑誌FMステーションのカバーデザイン等、数多くのイラストレーションを手がける。商業デザインにとどまらず、1985年には版画(リトグラフ)による30作品『EAST ALBUM』を東京・大阪のギャラリーにて同時発表し、現代アート作家としての地位を築き上げ、現在も個展はもちろん都市再開発のアートプロデューサー等、多岐に渡り活躍する。